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インドカレー屋 BONGAマスターのインド旅行記
by bonga-curry
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熊本のカレー&スパイス料理梵我マスターのブログです。

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カテゴリ:インド食い倒れ日記
  • インドの食い倒れ(5)
    [ 2006-01-24 22:50 ]
  • インドの食い倒れ(4)
    [ 2006-01-19 23:24 ]
  • インドの食い倒れ(3)
    [ 2006-01-12 23:01 ]
  • インドの食い倒れ(2)
    [ 2006-01-10 14:30 ]
  • 第1章 きっかけは軽い一言
    [ 2006-01-09 18:26 ]
インドの食い倒れ(5)
インドの食い倒れ(5)
 
デリーの耳掻きおじさん

 ニューデリー駅でDさんたちと別れた。彼らはパキスタンの国境まで列車で行くそうだ。僕は駅前のパハルガンジーというあまり治安も衛生面も良くない(とガイドブックに書いてあった)地区で宿を探すことにした。
 やはりそのガイドブックに書いてあった静かで、快適な設備の整った近代的中級ホテル、450ルピー(約千円)といううたい文句のせられて探し当てたホテルVが僕のインドでの最初の宿となる。ガイドブックをそのまま信じたわけではないが、この近代的ホテルには窓がなく、お湯の出ないシャワーが付いており、壊れかけて写りの悪い年代もののテレビと3~4人は楽に寝れる馬鹿みたいに大きいベッドがあるだけのこの部屋を、どんな見方をすればこのような文章が平気で書けるのか不思議でしょうがない。ま、とりあえずチェックインすることにした。インドのホテルの多くはいつでもチェックインすることができて、その24時間後がチェックアウトの時間になり便利がいい。僕は昨夜の睡眠不足を補うべくすぐその馬鹿でっかいベッドに横になった。
 2、3時間くらい眠っただろうか。空腹感とワクワクした高揚感にゆすられて目が覚めた。ホテルのすぐ近くのカフェでカッテージチーズを揚げたものとホットチョコレートをおなかに入れ、オートリキシャ(三輪の簡易タクシーといったしろもの)を拾ってコンノート・プレースにある本屋さんへ。この地区はデリーの中心で、ビルが立ち並ぶビジネス街や外資系のおしゃれな店舗、銀行、高級レストラン、映画館、ホテルなどが集まった環状の街路に囲まれた市街地だ。
 インド料理の本数冊を買い求め、公園で一休みしていた時だった。まさに見るからに怪しげなおっさんが話しかけてきた。客引きか詐欺師のどちらかだろうと思っていたら自分は耳の掃除屋だという。ちょっと好奇心が首をもたげかけたが、耳はきれいだからいらないと言う。そのおっさんは自分の鼻先に立てた人差し指を左右に振りながら チッ!チッ!チッ!使い古した手帳を開いて僕の目の前に差し出し、読めという。
 「このおっさんは怪しそうだけど実はインドの耳掻き名人です」「このおじさんの耳垢取りの技は驚きの一言である」「出てくる出てくる、恥ずかしいくらいに耳クソが取れる」などなど日本人の若い旅行者のものと思われる独特の丸っこい字が並んでいる。
 「わたし耳クソ取りの名人だよ。今日あなたはラッキーだね。特別にただで取ってあげるよ」おっさんは胸をそらせてそうおっしゃる。まあただでと言うのであれば取って貰おうと、ただほど高いものはないという日頃の戒めをすっかり忘れて、僕はうっかり耳を差し出してしまった。この名人は耳掻き七つ道具を鞄の中からおもむろに取り出し、僕の右の耳の中をごちゃごちゃやっていたが、「ハイどうですか」得意げに差し出した彼の手のひらには小指の爪ほどのの大きさの耳クソが4、5個も乗っているではないか。ゲゲ!嘘だろう。これなんかのトリックじゃないの。なんて少し動揺している僕の目をじっと見つめて名人は言い切った。「あなたの耳の中は非常にきたない」さらにたじろぐ僕に名人はおっしゃった。
 「ここでは完全にきれいにすることはできない。ちょっとわたしの家に来てください」
 気の弱い旅行者だったらその名人の迫力と驚くほど出て来た耳クソのショックで仕方なくついて行くところだろう。だけど僕だっておっさんと同じくらいおっさんなんだ。負けちゃいられない。家にも行かないし、もう片方の耳の掃除もしなくていいとキッパリ断った。するとこの名人は片耳分のお礼が欲しいと言い出した。お礼ぐらいいいかと思い、いくらだと訊ねる。800ルピー(2000円)だと言う。ババ馬鹿を言うな。800ルピーといったら僕の一週間分の食事代だぞ。チャイなら160杯飲めるんだぞ。僕は貧乏だからそんな金額払えないと言ってもこの名人は粘る粘る。昨晩のタクシードライバーのしつこさが甦ってくる。なんといってもインド人は生まれつき僕ら日本人よりもはるかに多くの時間を持ち合わせているのだから。交渉ごとは長引けば自分に不利だ。ここは短期決戦。名人のポケットに涙を飲んで100ルピー(250円)札一枚を突っ込み、おっさんがそれに気を取られているうちにその場を走って離れた。こうして僕はまんまとインドでの詐欺に引っかかってしまったのだ。コンノートプレースの耳掻き名人にはくれぐれも気をつけよう。
 インドに着いて最初の記念すべき夕食はホテルのあるパハルガンジー地区のメインバザール通りにあるMレストランで。この店はこのあたりでは一番立派なレストランで、お客は欧米人の旅行者がほとんどだ。数少ないお酒の飲める店の一つでもある。キングフィシャーというインドのビールを飲みながらチーズナン(チーズが練りこまれたインドのパン)とシシカバブ(スパイス入り羊肉のソーセージ)を食べる。本当にインドで食事をしているんだなあとしみじみその幸せを舌先で感じている。
(続きを御期待ください)
by bonga-curry | 2006-01-24 22:50 | インド食い倒れ日記
インドの食い倒れ(4)
インドの食い倒れ(4)

 やっとインドでチャイが飲めたよ

 人が200人ほど収容できるデリー空港の有料待合室のベンチの上でインドの最初の夜は明けていった。まだ夜の帳は残っているものの、外では確かに朝の喧騒が始まっていた。そろそろニューデリー駅行きの始発バスが出る時間だ。その前にトイレを済まそうと待合室の奥にある公衆トイレに向かう。なんだこのアサガオ(男子のおしっこ用の便器のこと)の異様な高さは。僕は日本人としては身長は高いほうではないが、インド人だってこの便器で楽に用を済ませられるほど背の高い人や足の長い人ばかりじゃないはずだ。なにクソっと見栄を張りつま先だって不安定な状態で用を済ませた。僕より背の低いDさんは大便用のトイレで小用を済ませざるを得なかった。インド人って僕以上に見栄っ張りだね。
 まだ明け切らぬ町並みを年季の入った老人のようなバスは、車体をブルブル震わせながらぶっ飛ばして行く。幸いまだ朝早いのでシートに座ることができた。道路の両脇には裸電球を灯した屋台が並んでいる。何の店だろうと窓に額をくっつけて眺めていると、バスは突然悲鳴のような急ブレーキをかけて止まった。座席から振り落とされそうになるのをやっと堪えて、何事かと前を見ると象の巨体がバスの前をゆっくりと横切っているではないか。ああここはやっぱりインドなんだなって改めて納得している日本人約三名がいた。
 バスは夜の明けたニューデリーの駅に着いた。人口10億を抱えるインドの首都の駅ということでそれなりの建物を想像していたのだが、ここでもそんな日本人の常識はあっさり裏切られた。決してきれいではない、いや古くて汚い駅舎とその前の広場にはどこから集まってくるのか人、人、人・・・・・。彼らは日本の都会のラッシュ時のようにどんどん流れて行くのではなく、どんどん集まり駅やその周辺に淀んでしまうのである。
 とりあえず当初の目的であったインドでの朝のチャイを飲もうとあたりを探し回る。駅前の客の呼び込みをやってるあんちゃんの店はどうもふっかけられそうな気がするし、この屋台は不衛生そうだし、なんてうろうろしていたら、目の前に満面の笑みを湛えたチャイ屋のおっさんの大きな顔があった。ついに記念すべきチャイを飲むのだ。おっさんが手馴れた仕草で入れてくれた5ルピー(12円)のチャイは熱くて甘くて、いつの間にか異国の地で緊張していた僕の肩と心を解きほぐしてくれるようだ。
(いよいよインドでの食い物行脚が始まるのだ)
by bonga-curry | 2006-01-19 23:24 | インド食い倒れ日記
インドの食い倒れ(3)
インドの食い倒れ(3)
インドの初夜その2
 「ヘイ!マ???シノハーラ」
 僕ら三人が待合室に上がる階段を登り始めた途端、あんまり目つきの良くないおっさんが声をかけてきた。もっともインド人の男性ってってみんなみんな目つきが悪いか、いやらしそうに見えるのは僕だけだろうか。インド人に知り合いはいないけれどもその目つきの悪いおっさんが口にしているのは名前のほうはともかく苗字はどうやら僕のものらしい。そうだと答えると二人のインド人は僕らのいくてを遮るように並んで立ちはだかった。それから背の低い年配のほうのおっさんが口ひげの下に奇妙な奇妙な愛想笑いを浮かべながら話しかけてくる。
 「われわれはDゲストハウスからシノハーラさんを迎えにやってきました。さあ一緒にタクシーに乗って行きましょう」
 「あなたはホテルの人か?」
 「そうです」
 おかしいよ。たった今ホテルのおやじはタクシー拾って勝手に来いって電話で言ったばかりなのに。それにしてもこのおっさんはどうして僕の名前を知っているのか。それよりもこの広い空港で東洋人の旅行者の中からよくも僕を探し当てたものだ。まるで僕の顔写真でも出回っているかのように。
 あやしい。このおっさんの表情があやしい。目があやしい。声だって十分あやしい。髭がひどくあやしい。自分が噂のデリー空港の詐欺師ですって顔してるよ。
 「僕は今晩友達と一緒に待合室に泊まることにしたよ。Dゲストハウスには明日の朝行くよ。ありがとう」そう言って彼らのディフェンスをすり抜け、有料待合室に飛び込んだ。
 これで安心。あいつら疑う余地もないぐらいそのままあやしかったよね。なんてDさんとYさんと話をしながらベンチで仮眠の用意していたら、ギョギョギョ!僕のベンチの前に先ほどのおっさんが立っているではないか。おっさんはまるで旧知のお友達のような笑顔を髭の下の分厚い唇に貼り付けて話しかけてきた。
 「やあシノハーラさん。インドは何回目だい」
 「明日は何時にDゲストハウスに向かうのかい」
 「僕がタクシーで送ってあげるから。お友達も一緒にOKだよ」
 「ノープロブレム。大丈夫、大丈夫。僕は朝までずっとここで待ってるからね」
 このおっさん、待合室の入室料20ルピーの大枚をはたいて勝負に出てきたな。ここは作戦変更だ。僕はDさんとYさんにそっと目配せした。
 「明日はこの二人と一緒にパキスタン行くことにたった今決めたよ。だからホテルはもういらない」おっさんはしばし考えた。それからメモ用紙とペンを貸してくれという。そのメモ帳にになにやら深刻な顔をして書き込みをしていた。そのメモ帳には計算式と数字が書かれていた。どうやらホテルの予約を取り消すのなら30%のキャンセル料を払えという訳だ。なるほど今度はその手できたか。日本ではありそうな話だがインドの中級ホテル以下ではそんなことはありえない。第一このおっさんがホテルの従業員かどうかも疑わしいわけだから。それなら最後の手段だ。この時から三人の日本人は全く英語がわからなくなったのだ。適当さには適当な嘘で対応するに限る。
 押し問答の末、このおっさんは突然全く英語が通じなくなった日本人の説得を諦めて。やっと開放してくれたのだ。その間なんと4時間半。膨大な時間を持つインド人ならでわだなと妙な感心をする。もうすぐ夜が明けます。ごくろうさまでした。
(まだまだつづく)
by bonga-curry | 2006-01-12 23:01 | インド食い倒れ日記
インドの食い倒れ(2)
インドの食い倒れ(2)
第2章 インドの初夜は

 そんなこんなのドタバタの結果、1月のデリー空港に一人降り立ったおじさんの勇姿があった。現地時間で今午後11時。国際空港と呼ぶにはあまりにも殺風景な港内の出国ゲートに向かいながら、旅行代理店のOさんの話を思い出していた。
 「僕らが今一番降りるのがいやなエアーポートがデリー空港ですよ。特に夜に着いた時なんて最悪。タクシーなんかに乗ったらどこに連れて行かれるかわかったもんじゃない。空港指定のプリペイドタクシーだって危ないものですよ。とにかく朝まで空港から出ないか、ホテルに予約を入れて送迎の車を出してもらうかどちらかですよ」
 僕は迷うことなく後者を選んだ。せっかくのインドの最初の夜を空港のベンチなんて虚しすぎる。初日はすこしはりこんで中級以上のホテルを予約し、車で迎えにきてもらおう。ちなみにインドでは中級以下のほとんどのホテルが予約など面倒なことはやってはいないのだ。
 目が覚めたらホテルの近くの公園を散策しながら露店の食堂でチャイ(インド風ミルクティ)を啜り、サモサをほうばる。僕はその時鼻孔と舌先でインドを直接感じる。そんな朝の予定がすっかり出来上がっているのだ。
 出国手続きを済ませ、空港の出口ゲートに向かう。ゲートの左右の人だかりに圧倒される。なんだなんだこのインド人の数は。2百人はいるだろうか、それぞれが宿泊客の名前とホテル名を書いたカードを持って一斉にこちらを向いている。ムムム!なんだこの迫力は。僕は彼らの気迫に気押されされないようにゆっくりとカードをひとつづつ見て廻る。たしか昼間台北から電話予約したホテルはDゲストハウスだったよな。出迎えのインド人たちは白い歯を見せ、愛想笑いをしながら指でカードを指している。
 一度ぐるりと廻ったけれども見つからない。こんな数の中から自分の名前を探すのは大変だよ。おまけに手書きの下手なアルファベットで書いてあるし、と思いつつ二度目も見つからない。三度目はしっかり顔を近づけてカードを一つずつチェックするが、ない ない ない。
 まさかと思いつつ、予約したDゲストハウスへ電話をいれてみる。
 「あのう今日宿泊の予約を入れていた日本人のシノハーラだけど。今デリー空港に着いたのだけど、迎えがまだ着てないみたいだけど」遠慮しながら恐る恐るたずねてみる。
 「ああ迎えね。今夜はもう遅いからホテルまでタクシーでくればいいよ。問題ないね」
 な なんだ!こちらが英語で抗議の言葉を捜している間に、相手はこともなげに電話を切ってしまった。これが噂に聞いたインド式なのだ。なんという・・・怒りよりもあきれるよりもなんとなく納得させられてしまった。これから1ヶ月この調子に慣れなければやっていけないのだ。
 でもとりあえず今の現実をどうにかしなければと思案気に呆然と立ち尽くしている僕に東京から来たというDさんが声をかけてきた。Dさんは台北からの飛行機で隣の席にいた三十代の男性の旅行者だ。彼は空港内の待合室に泊まるとのことでつい先ほど別れたばかりだった。事情を話すと、それじゃあ御一緒にということで同伴者のYさんと三人で二階にある有料待合所に行くことになった。
 この時点で僕のインドでのホテルでの初夜とすがすがしい朝の公園の散歩、熱々のサモサを頬張りながら啜る甘いチャイの予定は見事にキャンセルになってしまった。ところがインドでの初夜はそんなものでは治まらないのか、平和と善意の中で50数年ぬくぬく育ったおじさんに追い討ちをかけるように、さらなる強力な揺さぶりをかけてくるのだ。
(次回を御期待ください)
by bonga-curry | 2006-01-10 14:30 | インド食い倒れ日記
第1章 きっかけは軽い一言
第1章 きっかけは軽い一言

 「僕、1月になったらしばらく店閉めて、ええひと月ほどですけれどインドへ行ってこようと思ってます」
 お客様のいない店内の奥の厨房で明日の料理の仕込みの手を休めて、左斜め45度の中空に目を泳がせながらそうつぶやいたのは誰あろう僕のインド料理のお師匠さまのM氏でした。
 「え!お店ひと月も閉めるんですか?」
 「う~ん1月は寒いしお客も少ないからね。それに僕インドで少し考えたいこともあるし。そうだ篠原さん(梵我マスターのこと)も一緒に行かない?」
 「ええっ!」またまた簡単におしゃる。でもこの気軽なフィーリングどこかで・・・。そうだ5年前のあの時もそうだった。
 「ねえ篠原さん、ランタン谷に行きません?これから雨季に入るんですが一番綺麗な時期ですよ」
 お客として昼飯のチキンカレーを食べている僕に、カウンター越しにM氏が声をかけてきた。
 「ランタン谷?」カレーをすくうスプーンを止めていぶかしがる僕にM氏はこともなげにおしゃった。
 「いやだなあ、ヒマラヤのランタン谷ですよ。1週間ほどの軽いトレッキングですけど、お仕事休めます?」
 あの時もM氏の気軽な誘いにのって、往復1週間の軽い?トレッキングで4千メーターの高さまでお散歩に行ったわけでした。高山病や下痢、親指大の雹、山小屋での眠れぬ寒い夜。慣れぬ山歩きで痛めた足を引きずりながら歩いたこと。などなど。
 今度はインドにひと月だとおしゃる。時間的にも金銭的にも無理だとお断りする。
 「な~に今は格安の航空券が簡単に手に入りますし、インドは物価がべらぼうに安いんで旅費、宿泊費含めて15万円もあれば十分やっていけますよ。それにインド料理のお店始めようと思ってるんなら絶対行っとくべきですよ。ああ朝食べるサモサとチャイの美味しかったこと。ベジタリアンレストランだったらデリーに美味しいお店があったな。屋台のシシカバブは最高だった。ホテルで食べたインド料理のバイキングなんて500円で食べ放題ですよ」
 ちなみにサモサとはスパイスのきいたポテト入り揚げ餃子みたいなもの。シシカバブとはマトン(羊肉)のひき肉のソーセージを焼いたものと想像してもらいたい。
 食べ物の話から入られると僕も弱いところがある。目の前に料理のイメージが浮かび、口の中にはその食感や味まで感じ出してしまう。
 いやいやいけない。安易に話に乗っては。そのときは興味がないフリをして再度お断りしたが、帰りの車の中では、もうインドの街角やレストランでいろいろなインド料理を食べている自分の姿しか浮かんでこない。
 「1月にインドに行くことになったから」家に帰った途端、奥さんにそう言っている自分ってどんな人。疑問符!
 「僕一緒にいけないかもしれない」
 せっかちに超のつく僕はインドの旅の準備も整え、格安の航空券の手配も済ませ、1週間後M氏に報告したらこともなげにそうおしゃった。
 「いや行く事は行くんですが、かみさんの友達の出産日がどうも伸びそうでしてね」
 ???M氏の奥さんのお友達の出産日とM氏の旅行日程との関係がどうしても結びつかずけげんな顔の僕???
 「僕らは出産は自分たちで取り上げてるんですよ。うちのかみさんの時だって仲間に手伝ってもらって。その後家族でその胎盤を食べたんですよ。娘なんか久しぶりのお肉だって喜んじゃって。でもあれ結構美味しいんですよ。ちょうど豚肉のバラのところみたいで」
 僕の大脳がその胎盤の味を感じ始めたのを慌てて振り切って話題を元にもどした。
 「ということは胎盤の味・・・じゃなくてインドには僕一人で行くことになりますよね」
 「そういうことになりますね。まあ篠原さんなら大丈夫でしょう」とこともなげにおっしゃる。どこが大丈夫なの。中学生ていどのたどたどしい英会話しかできない50過ぎのおっさんが何のつてもなく、金もなくひと月あまりインドで暮らすなんて想像すらつかない。
 「そうですね」動揺を年齢相応の厚顔の裡に隠し、こともなげに返事してる見栄っ張りな自分て途方もなく危ういなあ。
 その夜机の上に広げたガイドブックを見ながら、どこに行ってどこに泊まって何を食べるのか、もうすっかり一人旅を楽しんでいる怪しげな笑みを浮かべた自分がいた。
(つづきはまた次回。感想をください)
by bonga-curry | 2006-01-09 18:26 | インド食い倒れ日記